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      <title>諸野脇 正の闘う哲学</title>
      <link>http://shonowaki.net/</link>
      <description>
　　　現在の常識が正しいならば、黙っていればいい。正しくないから、主張する。
　　　だから、必然的に哲学は闘いなのだ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　● 最新情報はツイッター で
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>「節電」批判　――原発を全て止めても電気は足りている</title>
         <description><![CDATA[　電気が足りないのはピーク時の数時間だけである。だから、必要なのはピーク時の電力使用を抑えることである。「ピークシフト」である。
　それを「節電」と考えると間違った行動をしてしまう。電気が余っている夜に街灯を消したりしてしまう。
　また、ピーク時の電力使用量に合わせて発電所を整備してきたため、平常時を基準にすれば発電所は余っている。原発を全て止めても何の問題も無い。
　以下の連続ツイートで詳しく論じた。
　
<blockquote>【<a href="http://twitter.com/shonowaki">諸野脇 正 の Twitter</a>】

「節電」で死者が出た。<a href="http://bit.ly/pVWwRC">http://bit.ly/pVWwRC</a>　道が暗くて追突事故が起きたのである。なぜ電気が余っている深夜に街灯を消すのか。我々は「節電」という語に騙されているのである。「節電」だと思うから深夜に街灯を消してしまう。必要なのは「節電」ではない。

我々は「節電」という語に騙されている｡電力が余っている深夜に街灯を消して、死者まで出した。<a href="http://bit.ly/pVWwRC">http://bit.ly/pVWwRC</a>必要なのは「節電」ではなく「ピークシフト」である。夏の電力需要のピークを平準化することである。<a href="http://bit.ly/hEJ2PH">http://bit.ly/hEJ2PH</a>

東京電力は５月に配布したプリントで言う。「今後も電気のご使用をお控えいただき、より一層の節電にご協力をお願い申し上げます」　電気の使用を控える「節電」を求めている。しかし、必要なのは「ピークシフト」である。夏の数日間の電力需要のピークを抑えればいいだけなのである。

東京電力は５月に配布したプリントで言う。「今後も電気のご使用をお控えいただき、より一層の節電にご協力をお願い申し上げます」　東電は、全面的な「節電」を求めている。しかし、必要なのは「ピークシフト」である。真夏の数日間の電力需要のピークを抑えればいいだけなのである。

必要なのは「節電」ではなく「ピークシフト」である。<a href="http://bit.ly/hEJ2PH">http://bit.ly/hEJ2PH</a>　例えば「氷蓄熱空調システム」である。電力が余っている夜間に氷を作り、それを冷房に利用するのである。このような発想は「節電」からは出てこない。

夏のピーク時、家庭ではエアコンと冷蔵庫で電力の約７割を使っている。つまり、エアコンと冷蔵庫をピーク時の数時間止めれば効果大。これは「氷蓄熱システム」の方法で可能。夜間にペットボトルに氷を作っておく。氷と扇風機で冷房。氷を冷蔵庫に入れておけば電源を切っても大丈夫。

エアコンと冷蔵庫で電力の約７割を使っているのだから、エアコンと冷蔵庫の電源を切れれば効果が大きい。これはペットボトルを使った簡易「氷蓄熱システム」で可能。夜間に作った氷を昼間のピーク時に使うのである。このような発想は「節電」からは出てこない。

「ピークシフト」として効果的なのは、夜間にペットボトルで氷を作り、それを利用してエアコンと冷蔵庫をピーク時に数時間止めること。しかし、そんな面倒なことを多くの人はしないだろう。しかし、ピーク時の電気料金が十倍だったらどうか。面倒なことでもおこなうようになるだろう。

ピーク時の電力料金を数倍するだけで、多くの人が「ピークシフト」の工夫を始める。ピーク時に電気を使わないように工夫を始める。すると電力不足など無くなってしまう。つまり、今回の電力危機は「偽の電力危機」である。価格システムが硬直的なため問題が発生しているだけである。

発電能力は余っている。日本は、ピーク時と閑散時の電気料金が同じという硬直的価格システムの元で発電所を作ってきた。ピーク時を乗り切るための大量の発電所がある。原発が全部動かなくても、発電能力的には問題はない。価格システムを変えればいいだけである。

原発が全て止まっても問題ない。発電能力は元々余っている。電力会社は、最大需要を満たすことが出来る大量の発電所を作った。だから、普段は発電能力は大量に余っている。あとは「ピークシフト」で、夏のピーク期間の数時間を乗り切ればいい。

原発が止まっても問題はない。水力と火力で最大需要量を満たせるのである。<a href="http://bit.ly/pcUL5O">http://bit.ly/pcUL5O</a>　この小出裕章氏作成のグラフは政府の統計を元に作られている。政府の統計が、原発が止まっても問題ないことを示している。

電力料金の硬直性が「偽の電力危機」を引き起こす。ホテル料金を年間を通じて一定にしたらどうなるか。例えば、５千円にしたらどうなるか。繁忙期にホテルが足りなくなる。「ホテル危機」が起こる。「偽の電力危機」はこれと同様の事態である。

常時５千円という料金を元に、ホテルを建設するとどうなるか。繁忙期の「ホテル危機」に対応するためにホテルだらけになる。同様に、日本は発電所だらけなのである。一定の電力料金を元に、ピーク時の需要を満たす発電所を作ったからである。

「偽の電力危機」は、ピーク時の電力料金を上げて「ピークシフト」を促すことによって解決できる。これは必ずしも電力料金の値上げを意味しない。閑散時の料金を下げて、年間トータルで今と同じ料金になるようにすればいいのである。

日本は発電所だらけになっている。一定の料金を元に、ピーク時の需要を満たす発電所を作ったからである。さらに発電所を増やすインセンティブがある。電力会社の利潤は資産に報酬率をかけて決まるのだ。これは発電所（資産）を増やしたくなる。

電力会社は「原発を造れば造るほど儲かる」（『原発のウソ』）と小出裕章氏は言う。利潤が「資産の何％」という形で決まるからである。「原発は建設費が膨大で、１基造ると５０００億」もかかる。原発を造れば、簡単に資産を増やせる。儲かる。

「節電」で人が死んでいる。<a href="http://bit.ly/nuNAjU">http://bit.ly/nuNAjU</a> <a href="http://bit.ly/pVWwRC">http://bit.ly/pVWwRC</a>　何人死んだら、必要なのは「節電」ではなく「ピークシフト」だと気がつくのか。「節電」と考えると行動を間違う。人が死ぬ。

「節電」ではなく「ピークシフト」と考えることで、重要な事実に気がつく。夜に街灯を消す必要は無い。「ピークシフト」を促すためにはピーク時の電気価格を上げればよい。価格を一定にしたため発電所が大量に作られた。既に詳しく論じた通り。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（７月９日～１４日）
　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://twilog.org/shonowaki/date-110709/asc">http://twilog.org/shonowaki/date-110709/asc</a></blockquote>

　
　「節電」ではなく、「ピークシフト」を行なえばよい。
　自動車メーカーが電力需要が多い木金を休みにし、土日に操業した。これは「ピークシフト」である。
　
　　　●　<a href="http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051901000369.html">土日稼働、木金休みを発表　自工会、全国の工場で</a>
　
　「ピークシフト」によって、ピーク時の電力需要を抑えることが出来た。
　東京電力管内の原発は止まっていた。しかし、何の問題も無かった。実質的に電力は不足していなかった。
　やはり、「偽の電力危機」であったのだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠インターネット哲学者


]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2011/10/post_108.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2011/10/post_108.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">原発</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 05 Oct 2011 23:32:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>【戸田ひさよし書簡への返信】 インターネット選挙に対する選管・警察の｢摘発するぞ詐欺」を止めさせよう　――裁判に追い込もう</title>
         <description><![CDATA[　戸田ひさよし氏から次の公開書簡をいただいた。
　今回の選挙でも、戸田ひさよし氏はホームページを活用し続けている。

　　　<a href="http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6731;id=01#6731">http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6731;id=01#6731</a>

　以下の文章が、私の公開返信である。


<strong>●　インターネット選挙に対する選管・警察の｢摘発するぞ詐欺」を止めさせよう ――裁判に追い込もう</strong>

戸田ひさよし様

　インターネット上の選挙活動は合法であると主張し続けて十年になります。
　
　　　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm">http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm</a>
　　　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm">http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm</a>
　　
　この間、選管・警察は｢公職選挙法に違反する」と候補者に｢警告」をし続けています。しかし、そのままインターネット上で選挙活動を続けても｢摘発」はされません。起訴された候補者は一人もいません。
　戸田ひさよしさんも、古賀しげるさんも、警察の｢警告」を無視したのに何の｢お咎め」もありませんでした。
　この不明朗な現状をどう考えたらいいのでしょうか。｢公職選挙法に違反する」ならば、きちんと｢摘発」すればいいのです。しかし、全く｢摘発」はしないのです。私はこのような状況を｢摘発するぞ詐欺」と呼びました。
　｢摘発するぞ」と脅されて多くの候補者が｢警告」に従いました。しかし、従わなくても何の問題も無かったのです。
　結局、選管・警察は自信が無いのです。面倒に関わりたくないのです。
　この十年は、｢摘発するぞ詐欺」が横行した十年でした。
　候補者の皆さんは、選管・警察に騙されてきたのです。
　
　私の現状認識は次の通りです。
　｢摘発するぞ詐欺」が横行する状態は不当である。この状態を解消する必要がある。
　そのためには、彼らが候補者を｢摘発」し、起訴しなくてはならないように追い込む必要がある。裁判になれば、いやでも世論は喚起される。（私は、食管法を変えた川崎磯信氏の事例を思い浮かべています。川崎氏は、自分が｢有罪」である証拠書類を揃えて、国を裁判に追い込んだのです。）
　
　このように考えていたので、戸田さんも〈起訴してもらいたい〉という意向をお持ちであることをうれしく思いました。
　
>　戸田のような豊富な実践例を持つ議員・候補者は、２度と再び現れるはずがあ
>りませんから、「今、起訴してもらって裁判に持ち込まなければ、２度と有利な
>実践例を持つ当事者による裁判は起こらない」のです。
>
>　「権力弾圧による公民権停止２年」がやっと開けてすぐの市議選で、今度は
>「ＨＰの選挙活用が公選法違反に問われる日本初の当事者被告」の座を与えられ
>るなんて、今後「社会科の教科書」や「現代用語の基礎知識」、「判例集」に戸
>田の闘いが掲載されて後生に語り継がれるわけで、しがない一市議体験者として
>これほどの栄誉はありません。
>
>　……〔略〕……
>
>　「大阪府門真（かどま）市」の名前もまた、超有名になり後生まで語り継がれ
>るし、「その時歴史は動いた」にも取り上げられたりして観光名所になる可能性
>も大です。
>　そうすると門真市のまち起こしに大きな貢献が出来るわけで、市議会議員とし
>て嬉しい限りです。
　
　戸田ひさよしさんこそインターネット上の選挙活動で被告になる栄誉が与えられるに相応しい方です。もっともインターネット選挙の実践を積み重ねてきたのが戸田さんだからです。
　｢社会科の教科書」・｢現代用語の基礎知識」・｢判例集」に載るのが楽しみですね。
　以前、私は次のように書きました。
　
>　民主主義とは、突き詰めれば〈一人が一人を説得すること〉です。ある一人の
>人間が別の一人の人間の考えを変えようと働きかけることです。
>　そのような働きかけによって、最初は少人数の者しか持っていなかった考えが
>広まって大きな力になる。そのようなダイナミックな過程が民主主義なのです。
>　だから、ブログ・ホームページで次のような訴えをするのは、民主主義社会では
>必要不可欠のことです。
>　
>　「Ａ候補に投票しよう。理由は……である。」
>
>　しかし、総務省は、この必要不可欠な行為を禁止しようとしています。公職選挙
>法で禁止されていると言うのです。
>　彼らは正気なのでしょうか。
>　それは、次のように言っているも同然なのです。
>　
>　「日本は民主主義国ではありません。言論の自由などありません。」
　　　<a href="http://shonowaki.net/2007/07/post_20.html">http://shonowaki.net/2007/07/post_20.html</a>

　日本の現状を知れば、世界が｢インターネットを使わないで、日本ではどう選挙をするのだ？」と驚くでしょう。日本が民主主義国家ではないという印象を持つでしょう。
　自由報道協会や外国人記者クラブで会見をしましょう。
　戸田さんをきちんと書類送検してもらいましょう。裁判にしてもらいましょう。
　今回も、戸田さんは｢ＨＰの選挙活用バリバリ実施」しているのですから。
　そして、選管・警察・総務省・検察には自分達のしたことの責任を取ってもらいましょう。
　世界からの批判を受けてもらいましょう。
　
￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣
　　　　　　　　　　　　　　　　　　 諸野脇　正　（しょのわき　ただし）
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￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣
　
]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2011/04/post_106.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット選挙</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 22 Apr 2011 19:27:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ハーバード白熱教室」批判　――サンデル教授の「対話型講義」は授業としてダメ</title>
         <description><![CDATA[　「ハーバード白熱教室」がブームである。ＮＨＫの番組はＤＶＤとして発売され、サンデル教授の著書『これからの「正義」の話をしよう』（早川書房）はベストセラーになった。

　　　<a href="http://www.nhk.or.jp/harvard/">http://www.nhk.or.jp/harvard/</a>

　しかし、サンデル教授の「白熱教室」は「白熱」していないし、「教室」でもない。サンデル教授の「対話型講義」は授業としてダメなのである。
　この趣旨をツイッターで詳しく述べた。
　
<blockquote>【<a href="http://twitter.com/shonowaki">諸野脇 正 の Twitter</a>】

ハーバード白熱教室批判１　「ハーバード白熱教室」なるものが流行っているようである。しかし、「ハーバード白熱教室」は、「白熱」していないし「教室」でもない。授業としてダメなのである。以下、この趣旨を論ずる。

ハーバード白熱教室批判２　サンデル教授の本の著者紹介を見る。「講義の名手」とある。授業で「講義」などしてはいけない。「講義」をすること自体が授業がヘタである証拠である。

ハーバード白熱教室批判３　つまり、「講義の名手」とは「駄文の名手」のような表現なのである。サンデル教授は「駄文の名手」であるらしい。（苦笑）

ハーバード白熱教室批判４　「講義」とは「学説…を口頭で説明すること」（大辞林）である。なぜ、「口頭で説明」するのか。人の話を聞くのは楽なのである。だらけやすいのである。

ハーバード白熱教室批判５　だから、学生は、居眠り・私語・内職などをすることが可能である。サンデル教授の授業は千人が入る大講堂でおこなわれている。学生がだらけるのは簡単である。

ハーバード白熱教室批判６　居眠りなどのはっきりした「非行」がなくも、学生は楽なのである。人が話すのを聞くのは楽なのである。学生が緊張しているつもりでも、それは本人がそう思っているだけに過ぎないのである。

ハーバード白熱教室批判７　こう考えれば、分かり易い。サンデル教授と学生とどちらが緊張して頭を使っているか。それは、話をしているサンデル教授である。サンデル教授は頭を使い話をする内容を考えている。学生にはそのような必要はない。

ハーバード白熱教室批判８　これは当然の原理を述べただけである。ライブをするバンドと観衆ではどちらが緊張するか。劇をする俳優と観衆ではどちらが緊張するか。舞台の上で何かをする方が緊張するに決まっている。

ハーバード白熱教室批判９　つまり、「講義」では一番緊張するのはサンデル教授なのである。つまり、一番勉強になっているのはサンデル教授なのである。

ハーバード白熱教室批判10　これでは、サンデル教授によるサンデル教授のための授業である。授業をすればするほど、サンデル教授は勉強になる。新しい本が書けるかもしれない。

ハーバード白熱教室批判11　しかし、サンデル教授の授業は、学生にとっては勉強にはならない。サンデル教授が勉強になるほどは勉強にはならない。

ハーバード白熱教室批判12　学生がこの授業で本が書けるような内容を発見することはない。それは、人の話を聞くのは楽だからである。自分では自覚していなくてもだらけているからである。

ハーバード白熱教室批判13　この私の批判に対して次のような反論が考えられる。「サンデル教授の授業は対話型講義である」しかし、サンデル教授の授業は「沈黙型講義」と呼んだ方が実態に近い。

ハーバード白熱教室批判14　千人の中で発言している学生は数人である。つまり、ほとんどの学生は沈黙しているのである。だから、「沈黙型講義」である。（笑）

ハーバード白熱教室批判15　まず、千人もの学生に対して授業をするのが間違っている。ハーバード大学にはお金が無いのか。そんなはずはない。せめて、十分割して、百人の教室にするべきである。

ハーバード白熱教室批判16　千人もの学生をいっぺんに教えようとすれば、学生は沈黙していても済む。それでは、だらける学生が増える。

ハーバード白熱教室批判17　千人の教室という存在自体が過去の産物なのである。数百年前は役に立ったものである。なぜ、昔は役に立ったのか。それは印刷物が高価だったからである。

ハーバード白熱教室批判18　巨大教室が必要だったのは、印刷物が高価だったから。印刷物が高価だったので、教師が「学説を口頭で説明」し学生がノートに筆記する必要があった。それならば大人数を対象にした方が効率がよい。

ハーバード白熱教室批判19　「講義」は印刷物の代わりだった。つまり、学説を印刷物で伝えることが出来ないので口頭で伝えていたのである。しかし、印刷物は安くなった。学説を理解したければ、学生が自分で本を読めばいいのである。

ハーバード白熱教室批判20　つまり、「講義」自体が時代遅れなのである。数百年前に役に立った方法を繰り返しているだけなのである。ちなみに、ハーバード大学の歴史は三百年近くある。そのころには、「講義」は役に立っただろう。

ハーバード白熱教室批判21　先程、サンデル教授の授業を「沈黙型講義」と批判した。しかし、数人の学生が発言しているのは事実である。その数人の学生とサンデル教授は「対話」をしている。この事実をどう考えるか。

ハーバード白熱教室批判22　数人の学生は発言している。サンデル教授がそれに応えている。一見、対話のように見える。しかし、それはサンデル教授の学説を説明するための「ダシ」にされているに過ぎない。

ハーバード白熱教室批判23　学生の発言は「ダシ」にされている。結論は最初から決まっている。「功利主義」「自由至上主義」などの概念を理解することである。これが対話か。

ハーバード白熱教室批判24　サンデル教授は授業の最初に言う。「『正義』について考えていきたい」私が次のように言ったとする。「なぜ、政治哲学の授業で『正義』を考える必要があるのか。」サンデル教授はどうするか。

ハーバード白熱教室批判25　さらに、私が次のように言ったとする。「『正義』概念を持っていないために現実の政治に何か問題が起こっているのか。例えば、湾岸戦争はどうか。」これにサンデル教授が応えたすれば対話である。

ハーバード白熱教室批判26　しかし、実際には、学生の発言は、サンデル教授が自身の学説を説明するための「ダシ」に使われているに過ぎない。サンデル教授が教える内容は前もって決まっているのだ。

ハーバード白熱教室批判27　学生の発言によって、サンデル教授が教える概念を変えることはない。つまり、これは、対話ではなく「対話風講義」である。

ハーバード白熱教室批判28　だから、サンデル教授がおこなっているのはやはり「講義」に過ぎない。学生の発言を「ダシ」にして、自分の学説を教えているに過ぎない。

ハーバード白熱教室批判29　問題は沈黙してた九百数十人の頭の中である。授業で問題なのは学生の頭の中が変わったかどうか。話された言葉がいくら「白熱」していても意味はない。学生全員の頭の中が「白熱」していなければならない。

ハーバード白熱教室批判30　黙っていた九百数十人の頭の中はあまり「白熱」してはいないだろう。あまり勉強になってはいないだろう。サンデル教授や発言した学生と比べれば。人の話を聞くのはどうしても楽なのである。

ハーバード白熱教室批判31　だから、教師は全員に活動をさせるような工夫を考えるのである。確かに、サンデル教授も学生に賛否を挙手させていた。これはよい。しかし、どちらにも手を上げない学生がいた。これは問題である。

ハーバード白熱教室批判32　賛否の挙手しない学生は授業に参加していない。だらけている可能性が高い。サンデル教授はそれを見逃している。このような場合、どうすればいいのか。

ハーバード白熱教室批判33　次のように言えばいい。「賛成の者はノートにマル、反対の者はバツをつけなさい。必ずどちらかをつけなさい。」その後、挙手をさせればよい。これで全員の手が上がる。

ハーバード白熱教室批判34　もし、挙手しなかった者がいたら、その者を指名して理由を問えばよい。「追及」すればよい。こうすれば全員が必ず授業に参加するようになる。自分の意見を持たざるを得なくなる。

ハーバード白熱教室批判35　サンデル教授は問題を出して、その答えを発表させる。その答も全員ノートに書かせるべきである。そうすれば、全員が考えざるを得なくなる。だらけていることが困難になる。

ハーバード白熱教室批判36　そして、教師は学生のノートを見て回る。（そのためには千人教室は大き過ぎる。コンサートじゃないんだから。苦笑）サンデル教授はどうして、ステージから降りて学生の様子を確かめないのか。

ハーバード白熱教室批判37　サンデル教授は、なぜ、挙手した学生を指名するのか。挙手していない学生こそ指名するべきである。つまり、考えがはっきりしていない学生こそ指名して指導するべきである。

ハーバード白熱教室批判38　挙手した学生を指名するのは、優等生だけで授業を進めていくことである。挙手できない学生は発表できない状態のまま放置される。これは「公平」か。（苦笑）

ハーバード白熱教室批判39　千人の学生全員の頭の中を進歩させる必要がある。そのためには、千人全員を授業に参加させなくてはならない。千人全員を緊張させ、考えさせなくてはいけない。これは大変なことである。

ハーバード白熱教室批判40　しかし、サンデル教授はそのための工夫をしていない。千人の学生全員を授業に参加させる工夫をしていない。挙手して発言できる数人の優等生だけで授業を進めてしまっている。

ハーバード白熱教室批判41　サンデル教授は本を出している。それならば、学生に授業の前にその本を自分で読ませればよい。そして、サンデル教授の論に対する批判を書かせて提出させればよい。千人全員に提出させればよい。

ハーバード白熱教室批判42　批判を発想するためには、学生は真剣にサンデル教授の本を読まざるを得なくなる。そして、サンデル教授は授業でその批判に応える。この形ならば、千人の学生全員に思考させることが可能である。

ハーバード白熱教室批判43　「講義」と「授業」とは違う。「講義」は「口頭で学説を説明すること」である。「授業」は「全員の頭を進歩させること」である。この意味で、サンデル教授の行為は「授業」ではない。「講義」に過ぎない。

ハーバード白熱教室批判44　サンデル教授は恐ろしく授業がヘタなのである。自分でそのヘタさを自覚すべきである。既に論じたように、学生全員を思考させる発想がない。一人ひとりを伸ばそうとしていない。学生をマスとして扱っている。

ハーバード白熱教室批判45　念のため書く。ほとんどの日本の大学教師よりサンデル教授の方がよい「講義」をしている。しかし、所詮「講義」である。既に述べたように「講義」は歴史的使命を終えている。「講義」はするべきではない。</blockquote>

　サンデル教授は「講義」ではなく、「授業」をするべきだった。「口頭で学説を説明する」のではなく、「全員の頭を進歩させる」べきだった。千人全員の頭を進歩させるべきだった。
　大学で「講義」をするべきではない。既に、この趣旨は宇佐美寛氏が詳しく述べていた。『大学の授業』・『大学授業入門』・『大学授業の病理』などの著書で詳しく述べていた。
　
　　　<a href="http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%89F%8D%B2%94%FC%8A%B0%81@%91%E5%8Aw">http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%89F%8D%B2%94%FC%8A%B0%81@%91%E5%8Aw</a>
　
　宇佐美寛氏の本を一冊でも読んでいたら、サンデル教授は「講義」などできなかったはずである。たぶん、サンデル教授は日本語は読めないだろう。
　しかし、アメリカでもさまざまな教育研究がおこなわれている。例えば、デューイはアメリカ人だ。（注）
　サンデル教授は教育研究の業績に学んでいない。教育研究の業績と「対話」していない。
　サンデル教授が「対話」していない。
　これは悲しい矛盾である。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者
　
　
（注）

　デューイが「講義」を批判した文章は発見できなかった。しかし、「なすことによる学び」（Learing by doing）を主張するデューイは、原理的には「講義」を批判するはずである。「講義」を聞くことは「doing」ではないからである。

]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/10/post_107.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">教育一般</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 19 Oct 2010 02:36:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>にわやま由紀議員は桐生市議会を引き続き「こらしめて」やりなさい（笑）</title>
         <description><![CDATA[　にわやま由紀議員から質問をいただいた。
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2010/10/post_104.html">【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか　――情報公開を拒む議会をどうするか</a></strong>

　答えは次の通りである。　
<blockquote>　<strong>にわやま由紀議員は桐生市議会を引き続き「こらしめて」やりなさい。</strong>（←水戸黄門風に読んで欲しい。偉そうで恥ずかしいが。笑）</blockquote>　
　桐生市議会は「情報隠蔽」をしたいのである。それならば、どんどん「情報公開」をしてやればよい。それが彼らにとって一番痛いはずである。
　桐生市議会がにわやま由紀議員に「嫌がらせ」をしてくるのは、痛いところを突かれているからである。
　詳しくは以下の「連続ツイート」ご覧いただきたい。
　
<blockquote>【ツイッターから】<a href="http://twitter.com/shonowaki">http://twitter.com/shonowaki</a>

　にわやま由紀議員、登場！ これまでの経緯を説明する。 

　にわやま由紀議員は桐生市議会の「腐敗」を明るみに出した。そして、議会から「問責決議」をいただいた。<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100923">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100923</a>「腐敗」を指摘した議員に嫌がらせをする。不正な議会の特徴。 

　にやわま由紀議員作「桐生市議会のブラックジョーク的政務調査費の使い方一覧表」<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100917">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100917</a>やはり、心を打つのは佐藤光好議員の「アンプ」。（苦笑）「アンプ」で何を調査するのか。 

　にわやま由紀議員は、男性市議が「二次会で卑わいなダンスを踊った」と議会で発言。<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100918">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100918</a>　河原井始議員が「二次会で卑猥なダンス」踊ったと主張した。 

　「政務調査費不正流用」疑惑と「セクハラ」疑惑である。議会はどうしたか。ケーブルテレビに放送しないよう申し入れた。（苦笑）<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100921">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20100921</a>　結局、その回の議会中継は中止になった。 

　疑惑があれば、それを解明するのが筋である。「アンプ」を買った佐藤光好議員の言い分を聞き、「卑わいなダンス」を踊ったとされる河原井始議員の言い分を聞くのである。疑惑の解明が必要である。そして、疑惑が事実ならば、両議員に「問責決議」「懲罰」を下す必要がある。それが真っ当な議会である。 

　しかし、桐生市議会は真っ当ではないので、疑惑を解明しようとはしない。逆に、告発したにわやま由紀議員に「問責決議」「懲罰」を下した。滅茶苦茶である。（実は、このような真っ当でない議会の方が多いのである。苦笑） 

　桐生市議会は真っ当ではないので、ケーブルテレビの議会中継まで止めてしまう。「情報隠蔽」をしてしまう。もし、にわやま議員の主張が間違いならば、にわやま議員が恥をかくのだ。堂々と放送させればいい。議会の行動は異常である。市民は次のように思うだろう。「よほど、やましいことがあるんだな」 

　これが桐生市議会の現実である。にわやま由紀議員はその議会の一員である。（お疲れさまです。苦笑）　それで、次の質問になった訳である。 

　【再ヒ】　ブログ更新！　「【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか　――情報公開を拒む議会をどうするか」　<a href="http://shonowaki.net/2010/10/post_104.html">http://shonowaki.net/2010/10/post_104.html </a>

　大変ですね。桐生市議会はケーブルテレビの議会中継を中止させました。にわやま由紀議員の発言が広まらないようにです。これはあまりに突出しています。突出したところを叩くのが原則です。「不正を隠蔽するためにテレビ放送を中止させた桐生市議会」と批判が出来ます。 
 
　実は、桐生市議会がケーブルテレビの議会中継を中止させたことはチャンスなのです。ピンチは裏を返せばチャンスです。例えば、戸田ひさよし議員は、門真市議会に議場内へのカバン持ち込を禁止されました。これはあまりに突出していたためマスコミの注目の的になりました。 

　カバン持ち込み禁止」と同様に「議会中継中止」も突出しています。突出してバカバカしいです。桐生市議会の「情報隠蔽体質」を端的に表す素晴らしい行為です。そこまで突出してバカバカしいと、マスコミも注目します。桐生市民も議会の異常さに気がつき易いはずです。 
 
　ピンチこそチャンス。相手がやりすぎたところ、突出したところを叩くのです。ですから、にわやま由紀議員はチャンスだらけとも言えます。（苦笑）　続きはまた。</blockquote> 
 
　「ピンチこそチャンス」である。「議会中継中止」は端的に桐生市議会の「情報隠蔽体質」を表している。この事実をどんどん広めてあげよう。マスコミにも広めてあげよう。
　「政務調査費不正流用」の問題も同じである。佐藤光好議員は「アンプ」をどんな調査に使ったのか。不思議である。この事実もどんどん広めてあげよう。
　「セクハラ」の問題も同じである。どんどん広めてあげよう。また、「セクハラ」は労働環境の問題でもある。そちらから攻める手もある。
　次の事実を確認いただきたい。
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2009/03/post_66.html">ブログの活用で阿久根市議会の「お掃除」が進む</a></strong>
　　　
　「政務調査費で温泉バスツアーに行った築地新公女議員」は落選したのである。やはり、有権者は見ているのである。
　事実をどんどん有権者に伝えよう。
　それが桐生市議会を「こらしめ」ることになる。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者

]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/10/post_105.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/10/post_105.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 18 Oct 2010 23:58:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>【哲学者ブログ相談室】にわやま由紀議員のご相談にどう答えたらいいでしょうか　――情報公開を拒む議会をどうするか</title>
         <description><![CDATA[　にわやま由紀議員のブログを見て吹き出す。吹き出してはいけない。いや、たぶん吹き出していい。「議員ブログ相談室：おしえて！諸野脇先生！」って。（笑）


<blockquote>■2010/10/01 (金) 議員ブログ相談室：おしえて！諸野脇先生！ 

諸野脇先生は、『〈情報公開〉こそ「変革」の中心』・・・と書いていらしゃいますが、本当にその通りと思います。ただ、「職員が仕事をしたく無い（忙しいらしい）」という理由と「情報公開されると都合が悪い」ということから情報公開さえ拒んたり（きちんと条例で拒めるようになっています）、自分たちに都合の悪い情報は議長権限で公開しない（例えば、庭山の資料請求だけ１年以上保留したり、「議会だより」に庭山の発言部分だけのせないとか、庭山が議員の実態を明言したためにケーブルテレビ放映を中止する）など、こういう自治体、議会はどうしたらいいのでしょうか？

おしえて、諸野脇先生。
　　　<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=201010">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=201010</a></blockquote>
　確かに、そう書いた。次の文章である。
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2007/04/post_10.html">議会の〈情報公開〉こそ「変革」の中心</a></strong>　
　
　そういう議会は「どうしたらいいの」か。
　うーん。困った。私は哲学者だから、実務にはうといのである。
　そうだ。こうすればいいのだ。


<blockquote>■2010/10/02 (土) 哲学者ブログ相談室：おしえて！みなさん！

にわやま由紀議員から質問を受けました。

　　　<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20101001">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=542857&log=20101001</a>

情報公開を目指すと、それを妨害する議会があります。このような議会はどうしたらいいでしょうか？

おしえて、みなさん！</blockquote> 　
　多くの議会で、改革派議員が同様の「被害」にあっている。議会が情報公開に応じない。情報公開をしたために、「嫌がらせ」を受ける。
　にわやま由紀議員の相談は重要である。
　ぜひ、ご回答をお願いしたい。（注）
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者

　
（注）

　ツイッターでも回答を募集してる。
　
　　　●　<strong><a href="http://twitter.com/shonowaki">shonowakiのツイッター</a></strong>
　　
　こちらもご注目いただきたい。
　]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/10/post_104.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/10/post_104.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 02 Oct 2010 23:59:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>議会で多数派による「独裁」がおこなわれていることこそ問題である</title>
         <description><![CDATA[　山田勝議員は次のように言う。　
<blockquote>　現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。

　現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。
　　　<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608</a></blockquote> 　
　多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
　議会は、多数派が自分達が決めたいことを決める場になっている。議論もせずに決める場になっている。
　つまり、議会は、多数派による「独裁」の場なのだ。まず、議会側が「独裁」体質を持っているのだ。多数派議員は、話し合いによって考えを変えない。初めから決めている結論を議決によって少数派に押しつけるだけである。
　
　これに対して、竹原信一市長は議会を召集しなかった。召集すれば、多数派による「独裁」を許すことになる。そして、竹原信一市長は専決処分で次々と自分の公約を実現していった。もちろん、これも「独裁」である。　
<blockquote><strong>　１　議会は多数派による「独裁」の場になっている。
　２　だから、竹原信一市長は議会を召集しなかった。
　３　そして、竹原信一市長は専決処分による「独裁」をおこなった。</strong></blockquote>　　　
　つまり、これは「独裁」対「独裁」の闘いなのである。
　一般に、竹原信一市長の「独裁」だけが問題にされている。しかし、その前に、議会の「独裁」がある。
　そして、議会の「独裁」を市長側から解決する手段が無いのだ。既に、述べた通りである。
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2010/09/post_102.html">なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか</a></strong>　
　
　これは多くの「改革派」首長が直面している問題である。自分の公約を実現しようとしても、議会で多数を取れなくては実現できない。しかし、首長には議会の解散権が無い。（注１）
　これは、言わば〈ねじれ市政〉である。首長と議会が完全に対立していても、首長の側からはその状態を解決する方法が無い。

　実は、議会による「独裁」の方が大きな問題なのである。竹原信一市長は一人しかいない。しかし、議会は日本中に無数にある。そのほとんどで多数派による「独裁」で物事が決まっていることが想定される。
　何しろ、議会は議論をする場ではない。（苦笑）
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2009/05/post_69.html">議会は議論をする場所ではないらしい（苦笑）　　―― 奇妙な規則「質問は三回まで」</a></strong>

　「奇妙な規則」によって、議会は議論をする場ではなくなっている。このような議論を実質的に禁止する規則がほとんどの議会にある。「質問は三回まで」・「申込みしておかないと討論できない」などなど。（注２）
　つまり、ほとんどの議会で「独裁」がおこなわれていることが想定できる。
　これは重大な問題である。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者

　
（注１）

　これは、〈首長の公約が必ず全て実現されるべきである〉と主張している訳ではない。〈首長の側に民意を問う手段が無い〉と指摘しただけである。民意を問うた結果、議会で多数を取れず、首長の公約が実現できないことはあり得る。
　
　
（注２）

　次の本に「奇妙な規則」の実例が紹介されている。
　
　　　<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%9B%E3%83%BC%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%AE%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5-%E6%88%B8%E7%94%B0-%E3%81%B2%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%97/dp/4883791025"><strong>戸田ひさよし　『チホー議会の闇の奥』　青林工藝舎</strong></a>
　　　
　特に「『言論の府』を自ら否定している議会の実態」（３７ページ）をお読みいただきたい。

]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/09/post_103.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/09/post_103.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 30 Sep 2010 23:59:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「竹原信一市長と議会がよく話し合うべき」という一般論を批判する</title>
         <description><![CDATA[　〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。この意見はもっともに思える。しかし、この意見は現実離れした一般論に過ぎない。　
<blockquote>　<strong>事実をよく見よ。</strong></blockquote>　
　これは一般論に対する厳しい批判である。一般論が通用するように思うのは、事実をよく見ていないからである。事実をよく見れば、問題がそう簡単でないことが分かる。
　それでは事実を見ていこう。


<blockquote>【ツイッターから】<a href="http://twitter.com/shonowaki">http://twitter.com/shonowaki</a>

　〈竹原信一市長と阿久根市議会とがよく話し合うべきだった〉という趣旨の意見をもらった。しかし、事実をよく見るべきである。既に説明したように、阿久根市議会は議論する場ではない。ゆえに、話し合いも成立しない。残念ながら。

　 さらに、具体的な事実を見よう。山田勝議員の証言である。 

　（山田勝議員の証言１）　現在の阿久根市議会に「話し合いなど存在しない」議員の話し合いや休憩をする議員控室に集まる事は殆どない。委員会や本会議開催中も多数派は議長室、広い控え室は市長の改革を支持する4人議員だけ。 

　（山田勝議員の証言２）　現在での議会の重要なことは議長室で多数派で協議し決定して本会議でいきなり提案して決定している。<a href="http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608">http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=525778&log=20100608</a> 

　「議会の重要なこと」は多数派が「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。山田勝議員自身も言う。「話し合いなど存在しない」 話し合い論者は、この事実をよく見るべきである。 

　つまり、これは「独裁」と「独裁」との戦いである。議会の多数派と市長との戦いである。議会の多数派は話し合い無しで議決をする。竹原信一市長も話し合い無しで専決処分をする。 

　もちろん、〈話し合うべき〉という一般論は正しい。しかし、このような阿久根市の具体的な事実を踏まえない一般論は虚しい。役に立たない。問題は、この状態で次の一手をどう打つかなのだ。 

　議会は議論をする場ではない。<a href="http://shonowaki.net/2009/05/post_69.html">http://shonowaki.net/2009/05/post_69.html</a>そう論じたところ、多くの人が驚いた。「えっ？議会って酷すぎ」しかし驚かない人がいた。議員達である。「うちの議会もそうだよ」結論。あなたの議会もたぶん無事ではない。（苦笑 

　議員にとっては、議会で議論がおこなわれないのは常識らしい。<a href="http://shonowaki.net/2009/05/post_73.html">http://shonowaki.net/2009/05/post_73.html</a>確かに、この｢はぐらかし」を見ると、議論を期待するのが虚しくなる。 

　〈議会の可視化〉が必要である。議会のインターネット中継が必要である。<a href="http://shonowaki.net/2009/04/post_71.html">http://shonowaki.net/2009/04/post_71.html</a>我々は、我々の議会の異常な状態を知る必要がある。状態を知れば、変えたくなる。〈情報公開〉こそ「変革」の中心なのである。</blockquote> 


　議会は、誠にひどい状態なのである。この事実を確認しよう。
　多数派の議員は「議員控室」にいない。「議長室」にこもっているのである。そこで、密室の密談をしている。（苦笑）
　そして、多数派は「重要なこと」を「本会議でいきなり提案して決定して」しまうのである。
　このような状態では「話し合い」は成立しない。「議論」は成立しない。
　さらに具体的に事実を見よう。
　今日、次のような事態が起こった。
　
　　　●　<strong><a href="http://www.asahi.com/politics/update/0929/SEB201009290002.html">阿久根議会、副市長選任取り消し可決　市長派が議場封鎖</a></strong>
　
　多数派は、もともと「話し合い」をする気はない。「話し合い」なしで、最初から決めていた結論を多数決で押しつけようとする。それに対抗して、少数派は「議場封鎖」をする。
　「話し合い」論者は、阿久根市に行って両者を説得してみるといい。「話し合い」をするように説得してみるといい。
　問題がもっと複雑であることを実感するであろう。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者

]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/09/post_101.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/09/post_101.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 29 Sep 2010 23:58:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか</title>
         <description><![CDATA[　阿久根市では、竹原信一市長と議会の対立が続いている。
　私は、こうなることを既に予測していた。
　
　　　●　<strong><a href="http://shonowaki.net/2009/06/post_78.html">祝・竹原信一氏再選！　―― さあ、心ゆくまで「対立」しよう</a></strong>
　
　阿久根市議会は議会のていをなしてない。議員を全員入れ替えなくてはいけない。竹原信一市長はそのように考えていた。
　対立が続くに決まっている。
　
　現在、阿久根市は興味深い状態にある。
　阿久根市議会は、竹原信一市長が提出する重要議案をほとんど全て否決してきた。議会と市長は完全な対立状態にある。
　それならば、阿久根市議会は竹原信一市長への不信任案を決議するのが筋である。
　しかし、阿久根市議会はそれをしない。
　なぜか。　
<blockquote>　<strong>不信任案を決議すると、議会を解散されるからである。</strong></blockquote>　
　これでは、議員全員の入れ替えを狙う竹原信一市長の思う壺である。
　しかし、自分たちに自信があれば、議会の解散は恐くないはずである。民意が自分たちの側にあるならば、再選挙で竹原信一市長を支持する議員が減るはずである。そして、最終的には、竹原信一市長を失職に追い込めるはずである。
　しかし、阿久根市議会には、自分達の側に民意があるという自信がない。
　だから、不信任案を決議できない。　
<blockquote>　<strong>阿久根市議会が竹原信一市長の不信任案を決議しないのが事態が変わらない原因である。</strong></blockquote>　
　全ての重要議案に反対ならば、不信任案を決議するべきである。市長と議会が完全に対立しているならば、不信任案を決議するべきである。
　当たり前の原理である。
　
　さらに興味深い事態がある。
　この事態を竹原信一市長から打開する方法がないのである。
　竹原信一氏は言う。　
<blockquote>　……〔略〕……自治体の首長が提出した条例案や予算案が議会に反対されたとき、首長の側には実質的な対抗手段がないのが現実です。
　議院内閣制を取る国政の場なら、反対する議会に対して内閣総理大臣は衆議院の解散権を行使して対抗することができますが、地方政治においては、首長に｢一応」の解散権は認められているものの、順序として、議会が首長の不信任案を可決しなければ、首長は議会を解散できない決まりとなっています。〔竹原信一『独裁者　“ブログ市長”の革命』扶桑社、２３ページ〕（注１）</blockquote>　
　市長の側から議会を解散する権限がないのである。
　つまり、議会に｢不信任案を可決」させるしか議会を解散する方法がないのである。
　もうお分かりであろう。
　なぜ、竹原信一市長は「独裁者」になるのか。　
<blockquote>　<strong>市長が議会を解散する方法がないからである。</strong></blockquote>　
　市長と議会とが完全に対立した状態では、市政が麻痺してしまう。そして、議会が｢不信任案を可決」しなければ、この状態は変わらない。（注２）
　だから、竹原信一市長の行動を次のように解釈することも出来る。竹原信一市長は、「独裁者」になることで、「不信任案を可決」させようとしているのである。議会の皆さんに特別な形で「お願い」しているのである。
　このような特別な形の「お願い」をしなくてはならないのは、阿久根市議会が筋を通していないからである。阿久根市議会が、堂々と「不信任案を可決」すれば事態は変わる。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

（注１）

　次の本である。
　
　　　<a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85-%E2%80%9C%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%B8%82%E9%95%B7%E2%80%9D%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E7%AB%B9%E5%8E%9F-%E4%BF%A1%E4%B8%80/dp/4594061443/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1285683926&sr=1-1"><strong>竹原信一　『独裁者 “ブログ市長”の革命』　扶桑社</strong></a>
　　
　反市長派の人は、ぜひ、読むべきである。（笑）
　竹原信一市長の考えを知ることで、市長の行動が予測できるからである。
　ちなみに、この本には、私の「インターネット選挙」関係の文章が引用されている。
　
　
（注２）

　最近、竹原信一市長に対するリコール運動がおこなわれている。実は、この文章を書いたのはリコール運動が始まる前なので、その事実は考慮されていない。
　確かに、住民によるリコールでも「状態は変わ」る。しかし、非常に手間のかかる方法である。例外的な方法である。
　大きな疑問がある。
　リコールを始めた市民は、反市長派議員に「不信任案を可決」するように要求したのか。要求はしなかったのであろう。なぜ、当たり前の要求をしないのか。
　「不信任案を可決」すれば簡単に民意が問えるのである。民意を問わない（問えない）反市長派の議員の問題を不問にしたリコール運動は不自然である。

]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/09/post_102.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/09/post_102.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 28 Sep 2010 23:58:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>竹原信一市長、専決処分「乱発」問題を考えるための論理</title>
         <description><![CDATA[　竹原信一市長が、議会を開かず重要な事柄を独断で決めている。市職員のボーナスを半減したり、議員報酬を日当制にしたりしてる。
　なぜ、竹原信一市長はこのような専決処分を「乱発」しているのか。　
<blockquote><strong>　市長に解散権が無いからである。
　制度上の問題があるからである。</strong></blockquote>　
　ツイッターで詳しく論じた。（<a href="http://twitter.com/shonowaki">http://twitter.com/shonowaki</a>）
 <blockquote>【ツイッターから】

　竹原信一市長は、なぜ｢独裁者」になったのか。なぜ、議会に諮らずに、独断で物事を決めたのか。それは、市長に議会を解散する権限が無いからである。 

　竹原信一市長が提案した重要法案の全てを阿久根市議会は否決した。これは、実質的に阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任なのである。 

　竹原信一市長と阿久根市議会は全く主張が対立しているのである。それならば、阿久根市議会は竹原信一市長に対して不信任決議をするべきなのである。しかし、阿久根市議会は不信任決議をしなかった。なぜ、不信任決議をしなかったのか。不信任決議を可決すると、竹原市長が議会を解散するからである。 

　阿久根市議会が竹原信一市長に対して不信任決議を可決すれば、竹原信一市長は議会を解散できる。もちろん、その解散選挙で反竹原派が勝てば、竹原信一市長を失職に追い込むことが出来る。しかし、反竹原派にはその自信がない。だから、不信任決議をしないのである。 

　これで全てのピースがはまった。　１市長と議会が完全に対立している。　２それにも関わらず、議会が不信任決議をしない。　３不信任決議が可決されない限り、市長の側からは議会を解散する方法がない。　この状態では何も決めることが出来ない。これが竹原信一市長が専決処分をおこなった構造である。 

　市長には議会を解散する権限がない。だから、自分の提案に全て反対する市議会が存在した場合、何も決められなくなる。（専決処分を除く。）しかし、それは筋が通らない。全てに反対ならば、不信任決議を可決するのが筋である。阿久根市議会も竹原信一市長に対して不信任決議を可決するべきなのである。 

　【まとめ１】竹原信一市長が専決処分を「乱発」したのは、市長に議会の解散権が無いからである。阿久根市議会は、市長と議会との対立で何も決まらない状態だった。しかし、竹原信一市長の側からそれを打開する手段がなかった。つまり、議会を解散して民意を問う手段が無かった。 

　【まとめ２】打開する手段があったのは、阿久根市議会の側だった。市議会が、竹原信一市長に対して不信任決議をすればよかったのだ。そうすれば、竹原信一市長は議会を解散できた。民意を問うことが出来た。しかし、議会側は何もしなかった。
 
　【まとめ３】市長と議会とが完全に対立した状態であるにも関わらず、議会側が何もしなければ、市政は痲痺してしまう。何も決まらなくなってしまう。これは制度上の問題である。

　【まとめ４】その制度上の問題を無理やり解決しようとする試みが専決処分の「乱発」である。</blockquote> 
　竹原信一市長は、議会に諮らずに重要な事柄を次々と決めた。市職員のボーナスを半減し、議員報酬を日当制にした。まさに「独裁者」である。しかし、その行為には理由があった。制度上の問題があるのである。市長の側から議会を解散する権限が無いのである。この状態を打開する手段を持っていたのは、市議会側だったのである。
　この構造を理解することが重要である。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者


]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/09/post_100.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 16 Sep 2010 23:56:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ネット哲学者、ツイッターを始める</title>
         <description><![CDATA[　ツイッターを始めた。

　　　●　<a href="http://twitter.com/shonowaki">shonowakiのツイッター</a>
　
　原口一博総務大臣に「嫌がらせ」をするために。
　いや、重要な事実をお知らせするためである。（笑）
　次のようにである。
　

 <blockquote>【ツイッターから】
 
    @kharaguchi　｢ネット選挙」についての規定は現行法にはありません。総務省が禁止されていると解釈しているだけです。だから、原口一博総務大臣が｢規定が無いのだから、自由である」と解釈を変えればいいだけです。詳しくは次の文章を。<a href="http://shonowaki.net/cat3/">http://shonowaki.net/cat3/</a> 
　

   @kharaguchi 総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えています。以前はホームページを閉鎖させていたのです。現在は公開可能です。総務省は、恣意的に解釈を変えてきたのです。詳しくは次の文章を。<a href="http://shonowaki.net/2010/04/post_94.html">http://shonowaki.net/2010/04/post_94.html </a>
　
    ホームページ・ブログを更新して、摘発され裁判になった人は一人もいない。刑事さんが「公職選挙法違反だ」と電話をくださったりするが。(笑) 

    だから、「お電話」さえ気にしなければ、ネット選挙は既に「解禁」されている。それが「ネット選挙解禁法案」で規制されてしまうのだ。 

    ちなみに、私のブログの政府関係のアクセストップは総務省！ 読んでるじゃないか。(苦笑) 

    議員の皆さんも、私のネット選挙関係の文章を読んでいる。政府関係アクセスの第三位は衆議院。 

    アクセス第一位は総務省。第三位は衆議院。それでは第二位は？なんと財務省！なぜ財務省が私のブログを？研究？気晴し？総務省を叩くネタ探し？(笑) 

    それで、私のネット選挙関係の文章を読んだ総務省の皆さん。どうでした？
 
    総務省の皆さん。どうでした？ 

    ネット選挙は既に自由。法的にも、事実としても。ネット選挙で摘発された事実は一件もない。 

    ホームページを選挙に活用した前門真市議・戸田ひさよし氏は摘発されていない。　ブログを更新した阿久根市長・竹原信一氏も摘発されていない。 

    既に自由なネット選挙を「解禁」するとはどういう行為なのか？ 

    「ネット選挙解禁」とは、実は「ネット選挙規制」なのである。 

    「ネット選挙解禁」によってホームページとブログだけが「解禁」されたら、ツイッターなどの他の方法が使えなくなる。 

    「ネット選挙解禁」という発想自体が間違っているのだ。「解禁」とは「原則全部がおこなってはいけない行為で、おこなっていい行為だけを決める」という発想である。これは論理が逆さまである。原則自由で、おこなっはいけない行為だけを決めればいいのだ。 

    これは「規制緩和」に似ている。本来「規制緩和」ではなく、「規制撤廃」なのだ。「緩和」ならば、「規制」があることが前提になってしまう。「ネット選挙解禁」も同様である。それでは、禁止されていることが前提になってしまうのである。原則禁止になってしまうのである。 

    ネット選挙において、「おこなっていいことを一つひとつ決めていく」という発想自体がものすごくイカれている。(苦笑) もし、アメリカが日本のような国だったら、オバマ氏は大統領になれなかっただろう。オバマ氏はネットをフルに活用して、選挙戦に勝ったのである。 

    世界中の「先進国」がネットをフルに使って政治的な意思決定をおこなっている。その中で、日本の議員は何を「解禁」するかを議論している。ものすごいイカれようである。(苦笑) 

    「ネット選挙解禁」という発想自体がイカれているという話をした。 

    「ネット選挙解禁法案」を審議している議員はイカれている。また、それを批判もせずに報道するマスコミもイカれている。 

    イカれた皆さん、オハヨウ。 

    今日も、イカれたことを考えているんでしょうね。 

    「ツィッターはなりすましが防止できない」とか。「誹謗中傷が防げない」とか。(笑) 

    でも、現実の選挙では、怪文章が飛びまくってますから。「なりすまし」・「誹謗中傷」が普通におこなわれてますから。 

    イカれた皆さん。まず、ビラを禁止した方がいいのではないですか。(苦笑)

    悪い影響があることは、その行為を禁止する理由にはならない。例えば、包丁の利用である。毎年、多くの人が包丁で殺されている。しかし、包丁の利用は禁止されない。</blockquote> 


　この文章を読みかえして、興味深い事実に気がついた。
　複雑な内容なのに、分かり易いのである。
　ツイッターの形式で書くことで、却って分かり易くなっている。
　短い文章を積み重ねる形式に分かり易くする効果があるのだろう。
　
　これは、複雑な内容を分かり易く伝える実験である。
　また、インターネットで原口一博総務大臣を追いつめることが出来るかの実験である。（笑）
　
　　　●　<a href="http://twitter.com/shonowaki">shonowakiのツイッター</a>　　　
　　　
　ご注目いただきたい。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者


]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/09/post_99.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/09/post_99.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット論</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット選挙</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 01 Sep 2010 23:42:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>｢ゾンビ集団」の一部（主権回復会）が人間化を宣言する　――在特会も人間化せよ</title>
         <description><![CDATA[　戸田ひさよし氏を襲った｢ゾンビ集団」について、私は<a href="http://shonowaki.net/2010/05/post_97.html">次のように書いた</a>。　
<blockquote><strong>　　｢ゾンビ集団」は人間になるべきである。</strong></blockquote>　ビッグ・ニュースが入ってきた。（注１）
　さっそく｢ゾンビ集団」の一部が人間化を宣言したのである。
　｢ゾンビ集団」は、戸田ひさよし氏だけでなく徳島日教組も襲撃していた。この襲撃について、主権回復会の西村修平代表は言う。　
<blockquote>　……〔略〕……徳島日教組糾弾に関わった西村　斉、荒巻靖彦、永山　嵩の各氏、会の承諾を得ないで記者会見に出席した山道哲也氏を除名とします。
　<a href="http://www.shukenkaifuku.com/info/main.cgi?mode=thr&no=15">http://www.shukenkaifuku.com/info/main.cgi?mode=thr&no=15</a></blockquote>
　つまり、｢ゾンビ集団」化して違法行為をおこなった者を｢除名」したのである。
　これは当然の判断である。ゾンビを除外することによって、主権回復会は人間集団になろうとしているのである。
　さらに、西村修平代表は次のような分析をしている。
<blockquote>　３・２８カウンターデモと徳島日教組糾弾は警察がまともであれば逮捕者が出た行動であった。

　前者に関して言えば、デモ隊の行進ルートに躍り出て妨害を加える、機動隊の盾をつかんで揺さぶる、体当たりをを加えるなどなど、本来なら全てが威力業務妨害若しくは公務執行妨害に該当する現行犯で逮捕されていた。

　後者は私的施設に押し入り、制止を無視してトラメガで咆吼する、受話器を取り上げ通話を妨害する、書類などをまき散らすなどなど、全て現行犯で逮捕されていたはずである。

　よくぞ逮捕されなかったが何故か。警察の能力が想像を絶するほど低下しているだけの話である。

　これらの映像は無編集でネット上にYouTube等で紹介されているが、刑事事件の取り調べではまたとない証拠資料として採用され、妨害事実を証明することになる。自らの映像で自らが起訴される格好の証拠を自慢げにネットに挙げたままにしているのは笑止の沙汰でしかない。愚かの限りである。

　以上は、もし逮捕者が出た場合、不当逮捕にはあたらない。れっきとした現行犯逮捕である。この点を深刻に考えなければならない。
　〔<a href="http://www.shukenkaifuku.com/info/main.cgi?mode=thr&no=15">同上</a>〕</blockquote>　
　全く正しい分析である。（苦笑）
　もう一度、確認してみよう。　
<blockquote><strong>　……〔略〕……自らの映像で自らが起訴される格好の証拠を自慢げにネットに挙げたままにしているのは笑止の沙汰でしかない。愚かの限りである。</strong></blockquote>
　代表自ら、よくぞ言った。（注２）
　私も、そう思っていた。
　これがその｢映像」である。
　
　　　●　<a href="http://www.youtube.com/watch?v=RaVxBCZrhFY&feature=related">4 月14日②募金詐欺組織のネコババ日教組を許さない！</a>
　　　
　｢ゾンビ集団」が成果だと思って公開している動画が、犯罪の証拠になってしまっている。｢愚かの限り」である。
　この文章を読む限り、主権回復会には｢ゾンビ集団」ではなくなる意志があるようである。人間化しようという意志があるようである。
　
　問題は在特会である。在特会は非を認めていないのである。
　在特会の桜井誠会長は上の襲撃について次のように述べている。
<blockquote>　この告訴については今後徳島県警の判断が下されると思いますが、そもそも抗議されるべき問題を起こしたのは誰なのかという点について考えれば、全国規模の募金詐欺という前代未聞の組織的犯罪行為を行った者こそが糾弾されるべきものであると思います。
　●　<a href="http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10519497889.html">日教組という闇</a></blockquote>　　　
　日教組が｢募金詐欺」をしていたかどうかなどどうでもいい。
　桜井誠会長が〈悪い奴だから襲撃しても当然〉という原理を主張している方が大きな問題なのである。　
<blockquote><strong>　〈悪い奴だから襲撃しても当然〉はテロリストの原理である。</strong></blockquote>　
　桜井誠会長は『週刊金曜日』誌上で｢小沢一郎暗殺計画」を公言している。（注３）
　だから、テロリストの原理を主張するのは当然である。
　
　　　●　<a href="http://anarchist.seesaa.net/article/143529752.html">在特会「桜井誠」が小沢一郎暗殺計画を認める</a>
　　
　しかし、テロリストやゾンビは日本社会では認められていない。桜井誠会長は、このことを理解するべきである。
　さらに、在特会の立場は、「友好団体」である主権回復会からも支持されていない。主権回復会は、既に人間になろうとしているのである。
　在特会も早く人間になるべきである。
　もし、人間にならなければ、その行動に応じた罰を受けることになるであろう。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者
　
　
（注１）

　この事実は次の文章で知った。
　
　　　●　<a href="http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20100503/p1">矢野・朝木両「市議」がいつまでも「襲撃する運動」と公式に絶縁しない中、主権回復を目指す会が「チーム関西」を完全に切り捨て</a>
　
　three_sparrows 氏にお礼申し上げる。
　
　
（注２）

　西村修平代表は会員の違法行為に対して｢除名」という毅然とした対応を取った。この対応を率直に評価する。
　しかし、次の二つの疑問がある。
　
　１　なぜ、西村修平代表は謝罪しないのか。代表には、会員の管理責任があるのである。
　２　西村修平代表じしんが違法行為をおこなったという報告がある。なぜ、西村修平代表は、自分を｢除名」処分にしないのか。
　
　１は当たり前である。
　だから、２を詳しく説明する。
　次のような事実が報告されている。　
<blockquote>　ところが、終盤になって宝塚方面から来た「在特会」関係者約30名が、警察の制止を振り切り、集会中のロータリーになだれ込んだ。彼らは「朝鮮人帰れ」「慰安婦は売春婦だ」「外国人参政権反対」「売国奴・小沢一郎」などとわめきながら、女性に体当たりし、展示パネルを剥ぎ取り、足で踏みにじった。

その際彼らは、写真を撮っていた人らを羽交い絞めにし、フィルムを出せと脅したという。なお、慰安所の地図と、妊娠した被害者のセットのパネルを剥ぎ取って持ち帰ったのは、「主権回復を目指す会」代表・西村修平であることがわかっている。
　●　<a href="http://www.jimmin.com/doc/1316.htm">暴力化する民族排外主義</a></blockquote>　　
　西村修平代表は｢慰安所の地図と、妊娠した被害者のセットのパネルを剥ぎ取って持ち帰った」のである。
　これは窃盗である。（また、暴行・器物破損をおこなっている可能性もある。）
　自ら違法行為をおこなったのだから、自分を｢除名」処分にするべきである。
　　
　　
（注３）

　なぜ、これで桜井誠会長が逮捕されないのか不思議である。
　『週刊金曜日』という著名な雑誌で、堂々と｢小沢一郎の首を取る」・「ある程度のプランは立ててますけど」と述べているのである。
　２ちゃんねるに「国会に突入して、小沢一郎を殺す」と落書きしただけで、逮捕されるのである。２ちゃんねるの落書きより、雑誌誌上で｢プランは立ててます」と言う方が危険性が高い。
　桜井誠会長は逮捕されて当然なのである。
　
]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/05/post_98.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 06 May 2010 03:05:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>｢ゾンビ集団」（在特会）が戸田ひさよし前門真市議を襲って大ピンチ</title>
         <description><![CDATA[　戸田ひさよし前門真市議が｢ゾンビ集団」（在特会）に襲われた。
　襲撃の様子を戸田ひさよし氏は次のように語る。　
<blockquote>　歩道橋の上を通ると、在特会・主権回復会（以下、「在特会ら」と呼ぶ）の連中が戸田を見つけて「戸田だ！」、「戸田だ、この野郎！」と喚きつつ、明らかに殴りつけ、蹴り付けて集団暴行しようとして襲いかかって来た。
　大勢の警官が警備している目の前でである！

　……〔略〕……

　戸田が下りエスカレーターを降りる間、戸田を後ろの警官らの後ろから襲いかかる者、上りエスカレーターを駆け下る者、隣の階段を駆け下る者と、まるで映画のゾンビ集団みたいに在特会らは戸田襲撃に大騒ぎ。

　そうして戸田がエスカレーターを降りて地面に立った時には、戸田の回りの警官らを在特会らが取り囲んで２方向３方向から戸田に襲いかかる事態になった。
　警官の体の隙間から手を出して戸田をこづこうとする者、蹴りを入れようとする者、デジカメを奪おうとする者、そしてメガネに手をかけて意図的に落としてしまう者まで現れた。
　<a href="http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6388;id=01#6388">http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6388;id=01#6388</a></blockquote>　
　その時の映像が次のものである。
　
　　　●　<strong><a href="http://www.youtube.com/user/todajimusho#p/u/3/Cp8Q-Z7mADM">4・7在特会らが戸田を襲撃!１：1：56.MP4</a></strong> 
　　
　集団で戸田ひさよし氏を追いかけ、襲いかかっている。手を伸ばして襲いかかり、眼鏡を落としたりしている。膝蹴りをした者もいるらしい。
　まさに｢ゾンビ集団」である。

　さあ、これは大ピンチである。
　｢ゾンビ集団」が。（笑）　
<blockquote><strong>　一般社会においては暴力を振るった方が負けなのである。</strong></blockquote>　　
　｢ゾンビ集団」は、多くの人が見ている前で、警察官もいるのにもかかわらず暴力を振るった。そして、それをビデオで録画されているのである。
　これは｢ゾンビ集団」にとって圧倒的に不利な状況である。
　この状況で戸田ひさよし氏が刑事告訴したら、｢ゾンビ集団」はひとたまりもない。
　そして、ついに昨日、戸田ひさよし氏が｢ゾンビ集団」に対して刑事告訴をおこなった。
　次のようにである。　
<blockquote>　被告訴人達の下記所為は、刑法第208条（暴行罪）および刑法第261条（器物損壊罪）　に該当し、かつ今後も繰り返される危険性が極めて高いと思料されるので、被告訴人達の厳重な処罰を求めるため告訴する。
　<a href="http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6438;id=01#6438">http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6438;id=01#6438</a></blockquote>
　｢ゾンビ集団」には｢厳重な処罰」がくだされるべきである。
　集団で一人の人間を追いかけ暴力を振るうのは、ゾンビとしては普通のことであろう。しかし、人間社会では暴力は認められていない。
　それを｢ゾンビ集団」に思い知らしてやらなくてはならない。　
<blockquote><strong>　人間社会はゾンビの存在を認めていない。</strong></blockquote>　
　だから、彼らには、人間社会の一般的な基準で罰がくだされるであろう。
　｢ゾンビ集団」は人間になるべきである。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者
　]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/05/post_97.html</link>
         <guid>http://shonowaki.net/2010/05/post_97.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 01 May 2010 22:29:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害した責任を取るべきである　――総務省はこっそり公職選挙法の解釈を変えている</title>
         <description><![CDATA[　驚くべき事実がある。
　総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えているのである。（注１）
　いかに総務省の解釈がいいかげんであるかが分かる。
　
　２０００年の段階では、総務省（当時は自治省）はとんでもないことをしていた。選挙期間中、議員のホームページを閉鎖させていたのである。ホームページを閉鎖して、音声だけにした議員がいたくらいである。
　総務省（当時は自治省）の解釈は次の通りであった。　
<blockquote>　……〔略〕……<strong>インターネットのホームページを開設することは「頒布」にあたると解しております。</strong>
　●　<a href="http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/9610saki_a.htm">新党さきがけ への自治省行政局選挙部選挙課の回答　平成８年１０月２８日付</a></blockquote>　
　｢ホームページを開設すること」を公職選挙法で禁じられている｢頒布」と解釈していたのである。これでは、ホームページを閉鎖する議員が出るのも当然である。　
　しかし、現在では、〈ホームページを選挙期間中に更新しなければよい〉ことになっている。ホームページを閉鎖しなくてもよくなっている。（注２）　
<blockquote>　<strong>十年前は閉鎖させられていたホームページが公開できるようになった。</strong></blockquote>　
　大変な変化である。なぜ、このような変化が起こったのか。
　法律は変わっていない。
　総務省が解釈を変えたのである。どうして、こんなに大きく解釈を変えたのだろうか。このような形で法律の解釈を変えるべきではない。　
<blockquote>　<strong>総務省は、全ての候補者のホームページを閉鎖させるべきである。</strong></blockquote>　
　総務省は｢ホームページを開設すること」が｢頒布」だと解釈したのである。違法だと解釈したのである。その解釈を貫くのが筋である。
　総務省の解釈を信じてホームページを閉鎖した議員がいたのである。
　総務省は、その議員にどう弁解するのか。
　弁解の仕様がないのである。
　次のように謝るしかないであろう。　
<blockquote><strong>　本当は、閉鎖しなくてもよかったのです。
　総務省の公職選挙法の解釈が間違っていました。
　申し訳ありません。</strong></blockquote>　　　
　しかし、総務省は謝罪すらしない。
　総務省は大きく解釈を変えた。それは自分の解釈が大きく間違っていたことに気がついたからであろう。それにもかかわらず、総務省はこっそり解釈を変えただけである。
　
　総務省は、間違った公職選挙法の解釈で議員のホームページを閉鎖させた。選挙活動を妨害した。言い換えれば、市民の投票活動を妨害したのである。
　これだけの非行をおこなっていならがら、謝罪すらしない。
　総務省は謝罪するべきである。
　そして、その責任を取るべきである。
　
　当時ホームページを閉鎖した議員は当然、総務省に謝罪を求める権利がある。
　また、総務省は、組織としてこの問題の責任を取るべきである。誰がどのように間違ったため、このような大きな間違いが生じたのか。はっきりさせるべきである。
　ホームページを閉鎖させられた議員は総務省を相手に訴訟を起こせばよい。そうすれば、問題がはっきりする。そして、問題をはっきりさせなければならないのである。
　これは言わば、総務省の「薬害エイズ問題」なのである。
　
　事実ははっきりしている。十年前はホームページを閉鎖させていた。そして、今はホームページを閉鎖しなくてもいいのである。
　被害は甚大である。十年もの間、インターネットの利用が妨害されたのである。
　これだけの非行の責任を取らなくていいならば、役人というのはずいぶん楽な仕事である。　
<blockquote>　<strong>役人の責任を問おう。</strong></blockquote>　
　公権力の行使には責任が伴うことを自覚させよう。
　間違ったら責任を取る。
　当たり前のことである。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者

（注１）

　それに対して、私の解釈は最初から変わっていない。

　　●　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm">インターネット選挙になるべきだった選挙　－－　あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか</a>
　　●　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm">インターネット選挙は公職選挙法違反か　－－「馬」は「自動車」か</a>

　総務省の解釈と比較してもらいたい。


（注２）

　近年、総務省の解釈がさらに大きく変わっている。ホームページ・ブログの更新すら問題にしないようになってきている。次のような解釈である。
　〈選挙活動としての更新してはいけない。しかし、政治活動としての更新は問題ない。〉
　古賀しげる氏の例を思い出していただきたい。
　
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2009/07/post_80.html">古賀しげる候補のブログ更新に「感銘」を受けた刑事が訪ねて来てくださる</a>
　　
　
　古賀しげる氏は選挙期間中にブログの更新をおこなっていた。
　しかし、警察が削除を求めてきたのは次の文言を含む三行だけなのである。　
<blockquote>　<strong>・「勇気ある真の改革者」、古賀しげるにぜひ投票して下さい。</strong></blockquote>　
　警察は、明確な投票呼びかけ以外は問題にしなかったのである。ブログの更新自体は問題にしなかったのである。
　政治活動としての更新は問題ない。
　それならば、十年前に〈政治活動としてならば、ホームページの開設も更新も問題ありません。〉と言えばよかったのである。
　
]]></description>
         <link>http://shonowaki.net/2010/04/post_94.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット選挙</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 30 Apr 2010 23:58:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>略称｢日本」問題を分析する ４　――総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか</title>
         <description><![CDATA[　二つの政党が同じ略称「日本」を使う事態となった。
　異常な事態である。
　私は、次のように書いた。　
<blockquote>　田中康夫代表は｢同一の略称は混乱をもたらす」と言う。
　当然、｢混乱」が起こるであろう。

　しかし、総務省側にはそんなことは関係ないのだ。
　彼らの論理はこうだ。
　
　<strong>　　私達は法律に基づき行動する。
　　　法律に規定が無い以上どうしようもない。</strong>
　
　総務省側はハードボイルドの世界なのである。現実にどんな大問題が起こっても彼らには関係ない。｢民主」や｢自民」を名乗る弱小政党が現れても彼らには関係ない。法律に基づき行動するのだから。法律が無ければ何もしない。法律ハードボイルドの世界なのだ。
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2010/04/post_93.html">略称｢日本」問題を分析する １　――法律が無いという理由で同一略称を受け入れる総務省に、現実の問題を訴えても無駄である</a></blockquote>
　今回の問題に対して、総務省・原口一博大臣はこのような姿勢を取った。法律ハードボイルドな姿勢を取った。
　これは、いわば次のような姿勢である。　
<blockquote>　<strong>校則に「万引き禁止」と書いていないから、学生が万引きをしても容認する。</strong></blockquote>　
　誠にアホらしい。ごく普通の市民はあきれるであろう。
　しかし、観点を変えて考えてみよう。法律ハードボイルドな姿勢にどのような意味があるのかを考えてみよう。
　法律ハードボイルドな姿勢の意義は何か。恣意的な公権力の行使を避けることである。恣意的な公権力の行使は危険である。だから、明文化された法律に基づいて公権力を行使する。出来るだけ公権力を行使しないようにする。
　このような点で、法律ハードボイルドな姿勢には一理ある。

　しかし、総務省・原口一博大臣は本当に法律ハードボイルドなのか。
　本当に法律ハードボイルドであるならば、いつもそのような姿勢を取っているはずである。総務省・原口一博大臣はいつもそのような姿勢を取っているか。
　いや、取っていない。
　インターネットの選挙利用について総務省は恣意的に法律を拡大解釈している。それによって、インターネット上の選挙活動を十年も妨害し続けているのだ。
　
　公職選挙法にはインターネットという語は一語もない。当たり前である。大昔に出来た法律なのである。
　だから、総務省（当時は自治省）は次のように言えばよかったのだ。　
<blockquote>　<strong>今の法律では止める手だてはない。</strong></blockquote>
　総務省がこう言っていれば世界は変わったのである。
　選挙におけるインターネット利用が進んだのである。選挙でインターネットを利用するのは世界の常識である。（注１）
　それにもかかわらず、総務省はインターネットの選挙利用を妨害してしまった。〈ホームページが文書図画である〉と恣意的な解釈をしてしまった。
　ホームページは見たい者がアクセスするものである。言わば、選挙事務所の資料室のようなものである。望まなくてもポストに入ってくるビラ（文書図画）とは全く違う。（注２）
　なぜ、総務省は法律ハードボイルドな姿勢を取らなかったのか。「インターネットについては規定が無い」と言わなかったのか。
　なぜ、原口一博大臣は、総務省の姿勢を変えようとしないのか。
　
　やはり、総務省・原口一博大臣は、法律ハードボイルドではない。
　十年間もインターネットの使用を妨害しているのである。公権力を行使し続けているのである。公権力の行使に慎重な訳ではない。
　ある時は、〈法律に規定が無いから禁止できない〉と言う。
　別の時は、法律を恣意的に解釈して禁止する。
　これでは次のように疑われても仕方ない。自分の都合のよいように法律を解釈しているだけではないか。または、法律を解釈する能力が無いのではないか。（注３）
　総務省は、十年間もインターネットの選挙利用を妨害してきたのである。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者


（注１）

　次の文章をお読みいただきたい。
　
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2008/12/post_56.html">ブログを更新して刑事告発される？　オバマ大統領もびっくりだよ！</a>
　
　
（注２）

　詳しくは次の文章をお読みいただきたい。

　　●　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo1.htm">インターネット選挙になるべきだった選挙　－－　あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか</a>
　　●　<a href="http://www.irev.org/shakai/isenkyo2.htm">インターネット選挙は公職選挙法違反か　－－「馬」は「自動車」か</a>
　
　総務省の解釈がいかに恣意的かを詳しく論じている。
　
　
（注３）

　役所が出生届を不受理にしたことがある。親が子供に「悪魔」と名づけようとしたのである。
　しかし、<a href="http://www.houko.com/00/01/S22/224.HTM#s4.2">戸籍法</a>には次のような文言しかない。　
<blockquote>　<strong>第50条　子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。</strong></blockquote>　　
　これで不受理に出来るのならば、今回の政党の名前（略称）も不受理に出来るはずである。なぜ、不受理にしないのか。不思議である。
　また、この条文で不受理にするためには、｢ものすごい」論理解釈が必要だったはずである。それなのに、なぜ今回は普通の論理解釈すらしないのであろうか。不思議である。
　
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         <link>http://shonowaki.net/2010/04/post_96.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット選挙</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 29 Apr 2010 23:59:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>略称｢日本」問題を分析する ３　――政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである</title>
         <description><![CDATA[　二つの政党が同じ略称を使うのは問題である。有権者の意志が正確に選挙結果に反映されなくなる。もちろん、これは公職選挙法の趣旨に反する。
　そして、現在の公職選挙法においても「同一略称」は禁じられていると解釈した方が自然なのである。
　次の文章で詳しく論じた。
　
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2010/04/post_91.html">略称｢日本」問題を分析する ２　――総務省の公職選挙法の解釈は正しいか</a>
　
　
　現在の公職選挙法も｢同一略称」を禁じていると解釈できるのである。
　しかし、４月１６日の会見で原口一博総務相は次のように言った。　
<blockquote>　<strong>今の法律では止める手だてはない。</strong></blockquote>　
　疑問がある。
　原口一博総務相は、自分で公職選挙法の原文を読んだのか。自力で法律を解釈したのか。
　次のような状態なのではないか。　
<blockquote>　<strong>総務相の役人が、原口一博総務相に「今の法律では止める手だてはありません。」と言う。
　そして、原口一博総務相は、それを信じて会見で同じように発言する。</strong></blockquote>　
　よくあることである。
　しかし、そうでない可能性もある。原口一博総務相自身が公職選挙法を解釈した可能性もある。その場合、原口一博総務相は自分が公職選挙法をどう解釈したかを示すべきであろう。（注１）
　次の批判に答えるべきであろう。　
<blockquote><strong>　１　政党ではない政治団体は「同一略称」を禁じられている。それなのに、なぜ政党には認められるのか。
　２　政党が「同一略称」を使ってはいけないのは当たり前のことである。明文規定が無いのは、当たり前だから書かなかっただけである。（注２）
　３　公職選挙法の趣旨は、｢公明」｢適正」な選挙制度の確立である。その趣旨から見て、政党についても「同一略称」は禁じられていると解釈するのが自然である。</strong></blockquote>　
　このような批判に前もって答えておくべきなのである。
　しかし、原口一博総務省は何もしなかった。
　もしかしたら、原口一博総務相は法律を解釈するという発想自体をもっていないのかもしれない。
　それならば、次の文章をお読みいただきたい。
　
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2007/09/post_24.html">「法律を解釈する」という発想</a>
　　　
　法律とは解釈するものなのである。
　自分に都合よく法律を解釈することで、現実を操作することが可能なのである。だから、法律は自力で解釈しなくてはならない。そして、どちらの解釈が正しいのかを争わなくてはならない。
　役人は法律の解釈を独占することによって、権力を持っているのである。影響力を持っているのである。
　「政治主導」という概念がある。しかし、政治家が役人の法解釈をうのみにしている限り、そのような状態は実現しない。　
<blockquote><strong>　政治主導とは、政治家が法律を解釈することである。
　法律の解釈を通して、現実を変えることである。</strong></blockquote>　
　政治主導とは役所から法律の解釈権を奪うことなのである
　政治家は、役人から「今の法律では出来ない」と言われるであろう。しかし、それは本当か。自力で法律を解釈しなくてはならない。別の解釈で役人の解釈を圧倒しなくてはならない。その解釈によって現実を変えなくてはならない。
　原口一博総務相は正にそれをするべき立場にいるのである。
　原口一博総務相には<a href="http://shonowaki.net/2010/04/post_91.html">私の文章の存在</a>を「つぶやいて」おいた。私の解釈をよく読んでもらいたい。そして、自分の解釈で判断をくだしてもらいたい。（注３）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　諸野脇＠ネット哲学者
　
　
（注１）

　原口一博総務相が役人の解釈をうのみにしたかどうかは分からない。
　しかし、自分の解釈であるのならば、その解釈を示す責任がある。
　
　
（注２）

　条文に書いていないからといって、おこなってよいとは限らない。
　校則に｢万引はしてはいけない」と書いていなくても、万引はしてはいけないのである。
　次の文章をお読みいただきたい。
　
　　●　<a href="http://shonowaki.net/2010/04/post_92.html">「覚醒剤は使用してはならない」という奇妙な校則を分析する</a>　　
　
　この文章の事例と｢同一略称」の事例とを比較すると発想が広がるはずである。
　しかし、今はその時間がない。


（注３）

　この文章を書き終わってから、政府が「同一略称」を｢受理せざるを得ない」と判断したという事実が報道された。これで二つの政党が「日本」という同じ略称になってしまった。残念である。
　
　　●　<a href="http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042701000741.html">参院選で２党が「日本」名乗る　政府、同一略称を受理</a>　　　
　
　さらに残念なのは、政府や原口一博総務相が自分の解釈を全く述べていないことである。（私にも読み落としがあるかもしれない。述べている事実があればお教えいただきたい。）


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         <link>http://shonowaki.net/2010/04/post_95.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インターネット選挙</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">哲学者のひらめき</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 27 Apr 2010 23:59:29 +0900</pubDate>
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