驚くべき事実がある。
総務省は公職選挙法の解釈を大きく変えているのである。(注1)
いかに総務省の解釈がいいかげんであるかが分かる。
2000年の段階では、総務省(当時は自治省)はとんでもないことをしていた。選挙期間中、議員のホームページを閉鎖させていたのである。ホームページを閉鎖して、音声だけにした議員がいたくらいである。
総務省(当時は自治省)の解釈は次の通りであった。
……〔略〕……インターネットのホームページを開設することは「頒布」にあたると解しております。
● 新党さきがけ への自治省行政局選挙部選挙課の回答 平成8年10月28日付
「ホームページを開設すること」を公職選挙法で禁じられている「頒布」と解釈していたのである。これでは、ホームページを閉鎖する議員が出るのも当然である。
しかし、現在では、〈ホームページを選挙期間中に更新しなければよい〉ことになっている。ホームページを閉鎖しなくてもよくなっている。(注2)
十年前は閉鎖させられていたホームページが公開できるようになった。
大変な変化である。なぜ、このような変化が起こったのか。
法律は変わっていない。
総務省が解釈を変えたのである。どうして、こんなに大きく解釈を変えたのだろうか。このような形で法律の解釈を変えるべきではない。
総務省は、全ての候補者のホームページを閉鎖させるべきである。
総務省は「ホームページを開設すること」が「頒布」だと解釈したのである。違法だと解釈したのである。その解釈を貫くのが筋である。
総務省の解釈を信じてホームページを閉鎖した議員がいたのである。
総務省は、その議員にどう弁解するのか。
弁解の仕様がないのである。
次のように謝るしかないであろう。
本当は、閉鎖しなくてもよかったのです。
総務省の公職選挙法の解釈が間違っていました。
申し訳ありません。
しかし、総務省は謝罪すらしない。
総務省は大きく解釈を変えた。それは自分の解釈が大きく間違っていたことに気がついたからであろう。それにもかかわらず、総務省はこっそり解釈を変えただけである。
総務省は、間違った公職選挙法の解釈で議員のホームページを閉鎖させた。選挙活動を妨害した。言い換えれば、市民の投票活動を妨害したのである。
これだけの非行をおこなっていならがら、謝罪すらしない。
総務省は謝罪するべきである。
そして、その責任を取るべきである。
当時ホームページを閉鎖した議員は当然、総務省に謝罪を求める権利がある。
また、総務省は、組織としてこの問題の責任を取るべきである。誰がどのように間違ったため、このような大きな間違いが生じたのか。はっきりさせるべきである。
ホームページを閉鎖させられた議員は総務省を相手に訴訟を起こせばよい。そうすれば、問題がはっきりする。そして、問題をはっきりさせなければならないのである。
これは言わば、総務省の「薬害エイズ問題」なのである。
事実ははっきりしている。十年前はホームページを閉鎖させていた。そして、今はホームページを閉鎖しなくてもいいのである。
被害は甚大である。十年もの間、インターネットの利用が妨害されたのである。
これだけの非行の責任を取らなくていいならば、役人というのはずいぶん楽な仕事である。
役人の責任を問おう。
公権力の行使には責任が伴うことを自覚させよう。
間違ったら責任を取る。
当たり前のことである。
諸野脇@ネット哲学者
(注1)
それに対して、私の解釈は最初から変わっていない。
● インターネット選挙になるべきだった選挙 -- あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
● インターネット選挙は公職選挙法違反か --「馬」は「自動車」か
総務省の解釈と比較してもらいたい。
(注2)
近年、総務省の解釈がさらに大きく変わっている。ホームページ・ブログの更新すら問題にしないようになってきている。次のような解釈である。
〈選挙活動としての更新してはいけない。しかし、政治活動としての更新は問題ない。〉
古賀しげる氏の例を思い出していただきたい。
● 古賀しげる候補のブログ更新に「感銘」を受けた刑事が訪ねて来てくださる
古賀しげる氏は選挙期間中にブログの更新をおこなっていた。
しかし、警察が削除を求めてきたのは次の文言を含む三行だけなのである。
・「勇気ある真の改革者」、古賀しげるにぜひ投票して下さい。
警察は、明確な投票呼びかけ以外は問題にしなかったのである。ブログの更新自体は問題にしなかったのである。
政治活動としての更新は問題ない。
それならば、十年前に〈政治活動としてならば、ホームページの開設も更新も問題ありません。〉と言えばよかったのである。