戸田ひさよし議員が失職した。公民権停止2年間の罰を受けたのである。
トップ当選を果たした議員が失職するのは前代未聞の事態である。
重要な事実がある。
戸田ひさよし氏は、有罪判決が出た後の選挙でトップ当選している。
つまり、有権者は、戸田ひさよし氏がどのような罪に問われたかを知っていた。知った上でトップ当選という判断を下したのである。
言わば、門真市民は戸田ひさよし氏に「無罪判決」を下したのだ。公民権停止を認めなかったのである。
しかし、この「無罪判決」を否定する形で最高裁の判決が出たのである。
つまり、次のような形になっている。
有権者の判断より、裁判所の判断が優先されている。
はたして、これでいいのだろうか。
なぜ、裁判所は有権者の判断を否定できるのか。
なぜ、公民権停止という罰があるのか。議員になることを禁止する罰があるのか。
議員になる資格があるかどうかは有権者が判断すればいい。
選挙という判断の機会があるのである。悪いことをすれば、有権者が議員の資格が無いと判断する。その候補者を落選させる。それでいいではないか。
これが民主主義の原理である。
なぜ、有権者の判断を否定する公民権停止という罰があるのか。
それは、「有権者がバカだ」と考えているからである。
公民権停止は「有権者はバカだ」という考えを含意する罰である。
〈有権者はバカなので、落選させるべき議員を当選させてしまう〉と考えているのである。だから、有権者が選んだ議員を失職させるのである。また、立候補できないようにするのである。議員になる資格を停止するのである。〈有権者は適切な選択を出来ないので裁判所が助けてやる〉という訳である。
門真市民はバカ扱いされたのである。
戸田ひさよし氏に投票した有権者はバカ扱いされたのである。
怒るべきである。
議員を自分で選ぶのは当然のことである。
バカな選択をしたとしても、その結果を自分で引き受ければいい。
民主主義とは〈自分達の責任でバカな選択肢を選ぶことが可能な制度〉なのである。前もって、誰かが選択肢を選んでくれる制度は民主主義ではない。
確かに、私達はバカかもしれない。
しかし、私達はバカ扱いされない権利を持っている。
それが民主主義なのである。
諸野脇@ネット哲学者
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