私は、「お上」に「お伺い」を立てる行為を批判した。
● 「お上」に「お伺い」を立てる愚
● ブログ規制は民主主義の否定
なぜ、彼らは「お伺い」を立てたのか。法律を守りたかったのであろう。
私は「法律を守ろう」などと考えたことがない。常に「正しくあろう」としているだけだ。
私以外の多くの人も同じであろう。自分がすることが「法律違反かどうか」などと考えたこともないであろう。
「正し」ければ、結果的に「法律を守」ることになる。
もし、「正しい」行為が「法律違反」になるならば、「法律」の方が間違っているのだ。
次の標語を覚えていて欲しい。
道徳は法律よりエライ
法律は、所詮、人間が作ったものである。当然、不当な法律・不適切な法律が存在する。それに対して、道徳は法律を作る基となるものである。
例えば、殺人を考えてみよう。殺人は、法律で禁止されているから悪いのか。違う。それは逆立ちした論理である。
殺人は、道徳的に悪い行為だから法律で禁止されているのである。道徳の方が先なのである。道徳が法律の基となっているのである。
だから、道徳の方が法律よりエライのである。
独裁国家の国民は、この違いを実感しているであろう。道徳と法律の違いを実感しているであろう。法律は、独裁者が自分が都合のよいように決めた恣意的なものなのである。
例えば、北朝鮮の国民は、国外のラジオ放送を聴くことを禁じられている。しかし、それは独裁者が恣意的に決めた法律に過ぎない。
だから、そんな法律には、国民は従う必要はない。
次のような報道があった。
青森県の深浦港で北朝鮮から逃亡したとみられる一家4人が保護された事件で、一家の所持品の中に、ラジオがあったことが分かった。国外の放送も自由に聴くことができる仕様で、一家は脱北前から韓国の放送などを聴いていて、日本人拉致問題の存在も知っていたという。……〔略〕……
調べでは、北朝鮮で購入できるラジオは特定の局しか受信できないように周波数帯が固定されているというが、発見されたラジオはチューニングを変えられる仕様だった。既製品ではなく、部品を集めて手作りで組み立てられた可能性があるという。
http://www.dennougedougakkai-ndd.org/~cielo/tdiary/?date=20070606
「国外の放送」を聴くことを禁止するのは、独裁者の恣意的な都合に過ぎない。そのような法律には従わない方が道徳的に正しい。「道徳は法律よりエライ」のである。
特定候補をブログで応援するのもこれと同じである。特定候補を応援する方が道徳的に正しい。
既に、次の文章で論じた通りである。
● ブログで特定候補を応援するのが民主主義なのだ
だから、私ならば、「お上」に「お伺い」を立てたりはしないであろう。
応援したい候補がいれば、直ぐに応援を始めるだろう。
だって、それが正しいのだから。
「道徳は法律よりエライ」のだから。